岡山地方裁判所津山支部 昭和38年(ワ)23号 判決 1965年1月19日
岡山県苫田郡加茂町知和三〇九番地
原告 妹尾登代根
右訴訟代理人弁護士 光延豊
山口県下関市大字阿弥陀寺町一二三番地
被告 赤間神宮
右代表者代表役員 水野久直
岡山県英田郡作東町土居三一三番地
被告 春名義雄
右被告ら訴訟代理人弁護士 小野実雄
同所二三七番地
参加人 妹尾居郷
右訴訟代理人弁護士 有元剛
主文
原告および参加人の各請求を棄却する。
参加による訴訟費用は参加人の、その余の訴訟費用は原告の各負担とする。
事実
一、申立
(1) 原告
「原告と被告らの間において別紙目録記載の物件が原告の所有であることを確認する。被告らは原告に対し、右物件を引き渡し連帯して一〇万円を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする」との判決と、物件引渡・金員支払部分につき仮執行の宣言
参加人の請求につき主文同旨の判決
(2) 被告ら
主文同旨の判決
(3) 参加人
「別紙目録記載の物件が参加人の所有であることを確認する。被告らは原告に対し本件物件を引き渡せ。参加による訴訟費用は原告と被告らの負担とする」との判決
二、原告の主張
(1) 後亀山上皇以後のいわゆる後の南朝の第九代高仁親王は、元禄一〇年、徳川幕府の圧迫による暗殺の難を避けるため当時の御所美作植月の宮を去るにあたり、その所有の別紙目録記載の本件物件を、近侍の妹尾四郎衛門兼玄に贈与した。
そして、右兼玄は、延宝年間に、本件物件を現在の岡山県英田郡作東町土居字出合天王谷三、三二四番の一にあたる本件山林内の地中に埋め、その上の平坦に盛土した約四坪の区域の中に石積みの土台を作り、そこに祠を建てて、歴代天皇、後の南朝の天皇親王、妹尾家祖先の霊を祭つたのである。
(2) 以来、右兼玄から原告にいたる妹尾家本家の代々の子孫は本件物件を含む右の約四坪の土地や祠(少なくとも終戦直後までは残存していた)を若宮と称し、その祭祀を続けており、それに伴ない、本件物件を、それを含む右若宮の一部として、順次相続取得している。
なお、原告の先々代の妹尾兼教は明治四年に鹿児島で刑死したが、その女婿の妹尾稲治郎が相続しており、右稲治郎の相続人である妹尾瀞が昭和三三年九月二六日に死亡したので、その妻で家付きの娘でもある原告が、慣習により妹尾家の祭祀を主宰するものとして、前記の相続をしたものである。
(3) 仮りに、前記(1)の兼玄に対する贈与の事実が認められないとしても、妹尾家代々の子孫は所有の意思をもつて平穏公然に本件物件を占有して来たのであるから、旧民法施行時を起算点としても、明治一二年一二月二〇日に家督相続し、大正一四年六月五日死亡した前記稲治郎がすでに時効により本件物件の所有権を取得している。
(4)(イ) なお、本件山林については、前記瀞から参加人に対して所有権移転登記がなされているが、それは、昭和一七年八月三〇日、参加人の父である妹尾与喜治に対し、本件山林の前記若宮を除外した部分だけを売り渡した際、分筆手続をしないまま、仮装的に参加人の名義とされたものに過ぎない。
(ロ) 仮りに、右与喜治への売却に際し若宮の部分が除外されていなかつたとしても、それは土地の売買であつて地中の本件物件までも譲渡する趣旨ではなく、また礼拝の対象である若宮を売却することは公序良俗に反するから、右売買契約のうち若宮に関する部分は無効であり、右若宮従つてその一部をなす本件物件は、右売買にも拘らず、瀞の遺産に含まれていたのである。
(5) 被告春名義雄は、前記瀞生存中の昭和三三年七月一三日、山本可武、衣田源一とともに、前記若宮を発掘し、本件物件を取り出した。
その際、被告春名は、前記妹尾与喜治から発掘のみの承諾を得ていただけであつたが、右若宮そして本件物件が瀞の所有であることを知つていたものであり、また当時もなお、右の本件発掘現場は、平坦で石積みの台などが残つていて、それが若宮であることは外形上も明白であつたのである。
(6) 右発掘当時、本件物件が前記瀞の所有であることは前記(1)ないし(3)のとおり明らかであつたのであるから、本件物件が無主の動産でないのは勿論のこと、民法二四一条にいう埋蔵物にもあたらぬのであつて、その点の被告らの主張(6)、参加人の主張(3)は失当であるが、仮りに埋蔵物にあたるとしても、参加人は前記(4)(イ)のように本件山林の仮装の登義名義人に過ぎないのであり、その点は別としても、本件物件は埋蔵文化財でもあるから、その発見の際は、遺失物法一三条の公告だけでなく、文化財保護法五七条ないし六五条の手続が必要である。しかるに、僅かに被告春名が昭和三三年九月一一日に本件物件を自己所有と称して重要文化財指定の申請をしたのみで、それも後に取り下げているのであつて、その外は、参加人や発見者の被告春名らは、前記の法定手続を全くしていないのである。従つて、この点からみても、同人らは本件物件につき何らの権利も取得していない。
(7) 被告春名は、昭和三四年二月九日、本件物件を被告赤間神宮に引き渡し、以来、被告神宮がこれを占有している。
被告神宮は、その授受にあたつては、被告春名と共謀していたものであり、しかも、本件物件が他人所有の礼拝対象物で被告春名が無断発掘したものであることを知つていたものである。
(8)(イ) ただ、被告らの主張(8)(ロ)の日付で、妹尾家代表と称する妹尾弘一郎が本件物件を被告神宮に奉還する旨の書面を作成しているが、そこにいう奉還は贈与と同じ意味ではないし、原告は、被告の主張(8)(イ)のように、同訴外人に本件物件を譲渡したことのないのは勿論、譲渡に関する代理権を与えたこともない。原告は、同訴外人に対しては、被告春名から本件物件を取り戻すよう依頼していたものに過ぎないのである。
(ロ) 仮りに、右の妹尾弘一郎作成の文書が贈与の意思表示を含むものであり、同訴外人にその権原があつたとしても、その文書作成の際、当事者に、その現実の贈与は、前記妹尾弘一郎、被告春名、被告神宮代表者の三名から依頼をうけた田中千秋と安本晏東の両名が工作して原告を含めた地元の本件物件の関係者の了承を得、一旦本件物件を原告方に返還した後に、改めてなされることの合意があり、右文書は、その際に備えて一応作成されていたものに過ぎない。
さらに、被告らの主張(8)(ハ)のいずみ壮の会合の結果、確かに、原告を除く関係者一同の合意により本件物件を被告神宮に奉還することとされたのであるが、それも、同じく、一旦、原告方に本件物件を戻した上、旧紀元節の昭和三四年二月一一日を期して奉還祭をして被告神宮に引き渡すという趣旨なのである。
しかるに、被告らはその条件を守らず、ひそかにその期日前に前記(7)のとおり本件物件の授受をしたのである。
従つて、妹尾弘一郎の前記意思表示や、仮りにその結果について原告も承認せざるを得ないとされた場合の前記いずみ荘における合意は、その条件が成就していないという点でも、その効力はないのである。
(9) 前記(7)、(8)(ロ)のとおり、被告神宮は本件物件授受に際し悪意であり、その占有移転も平隠・公然でないから、本件物件につき被告神宮の即時取得の成立する余地はない。
(10) 仮りに、以上の(8)(9)の主張が容れられないとしても、本件物件そのものが礼拝の対象物であるから、その譲渡は公序良俗に反し無効である。
(11) 原告は、被告らの(5)(7)(8)の共同不法行為により、甚大な精神的苦痛を蒙つたが、その慰藉料は一〇万円が相当である。
よつて、原告と被告らの間において本件物件が原告の所有であることの確認と、被告らに対し、所有権に基づく本件物件引渡しと、一〇万円の損害賠償金の連帯支払を求めるため、本訴請求に及んだものであり、また、参加人の所有権確認請求も失当である。
三、被告らの主張
(1) 原告の主張(1)の事実のうち、本件物件が本件山林内の地中にあつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(2) 原告の主張(2)の事実のうち、本件物件や本件発掘現場附近が礼拝の対象であつたこと、その主張のような経過で本件物件が相続されたことは否認する。
本件物件の存在は単なる伝説に過ぎないものだつたのであり、本件発掘現場附近は単なる山林、原野に過ぎなかつた。
また妹尾兼教は明治初年に獄死してその相続人なく絶家している。現に、本件山林は、妹尾稲治郎の前は妹尾家と無縁の内田寛の所有だつたのである。また、その点は別としても、妹尾瀞の相続人は原告の外に福田宏子、妹尾純子がいるのである。
(3) 原告の主張(3)の時効取得の事実は否認する。
(4) しかも、参加人の主張(1)のとおり、妹尾瀞は、昭和一七年八月三〇日、本件山林を、参加人に対し売り渡し、本件山林は参加人の所有となつている。
そして、本件山林の本件発掘現場附近が礼拝の対象でなかつたことは前記(2)のとおりであるから、その譲渡は無効でない。
(5) 原告の主張(5)のうち、被告春名がその主張の日にその主張の訴外人両名とともに本件山林を発掘して本件物件を掘り出した事実、従つて、参加人の主張(2)の事実は認めるが、原告の主張(5)のその余の事実は否認する。
被告春名は、歴史に興味を持ち、郷土史書である作陽誌や美作誌などを研究した結果、土居の天皇谷に八咫の鏡が埋められているといわれていることを知り、右埋蔵場所が本件山林であろうと推測の上、その山林所有者である参加人とその父の妹尾与喜治の無留保の承諾をうけ、町役場、警察等の了解も得て、山本可武、衣田源一の二名の訴外人を補助者として、本件発掘現場を発掘したところ、遂に本件物件を発見することができたのである。
(6)(イ) 被告春名は、無主の動産である本件物件を発掘して先占したのであるから、その所有権を原始取得した。
(ロ) 仮りに、本件物件が、参加人の主張(3)のとおり民法二四一条にいう所有者不明の埋蔵物であつたとしても、前記(5)のように山本、衣田の両名は被告春名の単なる補助者に過ぎないから、本件物件は被告春名と参加人の共有となるべきであるが、参加人とその父の妹尾与喜治は、前記(5)のとおり被告春名の発掘を承諾しただけでなく、発掘のための道具を貸与するなど積極的に協力しているのであり、また、発見後、被告春名が後に取り下げたが昭和三三年九月一一日に本件物件につき重要文化財指定の申請をし、あるいは本件物件を安徳天皇に因み被告神宮に奉還するなどしているのを知りながら、異議を述べることなく、これを黙認していたのであるから、参加人は、本件物件に関する権利を放棄したものである。
(7) 原告の主張(7)の事実のうち、被告神宮が、その主張の日に被告春名から本件物件の引き渡しをうけ、以来これを占有している事実、およびこれに符合する限度での参加人の主張(4)の事実は認めるが、その余の原告の主張(7)の事実は否認する。
(8)(イ) 仮りに、本件物件が原告の所有であつたとしても、原告は、昭和三三年一一月二八日、本件物件を妹尾弘一郎に譲渡したのであるから、その所有権を失なつている。
(ロ) また、右譲渡が認められないとしても、右妹尾弘一郎は、原告の委任をうけて、昭和三四年一月一五日、被告神宮に対し、書面によりこれを贈与した。
(ハ) さらに、右の主張が容れられず、また、参加人が仮りに本件物件の共有権者であつたとしても、昭和三四年一月二二日、岡山市内いずみ荘において、原告の代理人である妹尾弘一郎、参加人の代理人妹尾与喜治、被告春名、被告神宮代表者を含めた本件物件の関係者が会合した際、本件物件を被告神宮に奉還(贈与)することを全員一致で合意した。この合意により、原告は、前記妹尾弘一郎の贈与を追認するか改めて贈与をしたものであり、参加人は、その共有持分を被告神宮に贈与したものである。
なお、右(ロ)(ハ)の合意について、原告の主張(8)のような条件が付されていたことは否認する。
(9) 仮りに、被告神宮の権利取得に関する以上の主張が認められないとしても、被告神宮は、前記(8)(ロ)(ハ)のような合意をした後、前記(7)のとおり被告春名から本件物件の引渡しをうけたのであつて、その際、被告春名らの無権原であることにつき善意・無過失であり、平隠・公然にその占有を取得したものであるから、被告神宮は、即時取得により、本件物件の所有権を取得したものである。
(10) 原告の主張(10)のうち本件物件が原告の祖先の遺物で礼拝の対象物であることは否認する。それは譲渡禁止物ではない。
(11) 原告の主張(11)の事実は否認する。
よつて、原告および参加人の各請求は失当である。
四、参加人の主張
(1) 参加人は、昭和一七年八月三〇日、妹尾瀞から本件山林を買いうけ、その所有者となつた。
(2) 被告春名は、山本可武、衣田源一とともに、昭和三三年七月一三日、参加人の父の妹尾与喜治の承諾をうけて、本件山林を発掘し、本件物件を発見した。
(3) 本件物件は民法二四一条の埋蔵物であるから、その所有権は、発見者である前記(2)の被告春名ら三名と、本件土地の所有者である参加人に帰属するが、被告春名以外の二名の発見者らは、その後、その持分権を参加人に譲渡しているので、参加人は、過半の持分権を取得している。
尤も、本件物件につき原告の主張(6)のような公告手続のなされていないことは認める。
(4) 被告春名は、参加人に無断で本件物件を被告神宮に保管させ、被告神宮は現にこれを占有中である。被告春名の右行為は民法二五一条、二五二条に違反し、権利の濫用でもあるので、被告神宮は本件物件につき何らの権原も取得していない。
よつて、本件物件が参加人の所有であることの確認と、被告神宮に対し所有権に基づく本件物件引渡しを求める。
五、証拠≪省略≫
理由
一、(当事者間に争いのない事実)
次の各事実は本件各当事者間に争いがない。
(1) 被告春名が、昭和三三年七月一三日、単なる補助者であつたかどうかは別として、山本可武、衣田源一とともに、本件山林内の本件発掘現場を発掘し、その地中にあつた本件物件を掘り出したこと
(2) 本件山林が、昭和一七年八月三〇日までは妹尾瀞の所有であつたこと
(3) 被告神宮が本件物件を占有していること
二、(原告の権利取得の主張に対する判断)
(1) そして、≪証拠省略≫によれば、正木輝雄なる者の文化年間からの研究の結果を後にまとめて発行したものである美作誌前編の東作誌や、大正初年頃に発行された作陽誌などの郷土史書には、出合の天皇谷という地字の所に、平清盛の落胤といわれる妹尾太郎兼康の後裔である里長の妹尾氏の建立した小社があり、それは安徳天皇を祭神とする天皇社で、そこには八咫の鏡などが埋められていると伝えられている旨の記載があり、被告春名は、それらの史書にある八咫の鏡なるものを探し出そうと思い立ち、右の小社が岡山県英田郡土居字出合天王谷にある本件山林内にあつたものと考え、同山林内に、約四坪位の広さで平坦になつており、既に何者かの手で一部発掘されたような形跡があつて、周囲にもと石垣に用いられていたと思われるような石が散乱していた本件発掘現場をさらに発掘・探索した結果、前記のように本件物件を発見したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
しかしながら、本件全立証によるも、右の郷土史書の記述が果して信頼できるものであるかどうか、つまり、その研究者あるいは著者の伝え聞いたことが真実であるかどうか、また右史書にいう小社なるもののあつた場所が本件発掘現場であつたかは不明であり、さらに、本件物件が右にいわゆる八咫の鏡と同一物であるとも認められないのである。もし、仮りに、原告主張のように本件物件が原告のいわゆる後の南朝なるものの高仁親王なる人物の所有していたものであり、それが右の史書にいう八咫の鏡であるとすれば、それを埋めた社の祭神が特に安徳天皇と伝えられているのは不合理であろう。なお、証人久保田政男、参加人の各供述によれば、参加人方にも古くから「御衣の上半身は鏡とともに埋める」旨の記載のある文書が伝わつていたことも認められるのである。
さらにまた、証人田中千秋、原告本人(各第一回)の各尋問の結果により、原告方に古くから伝わる文書であるとみられる甲第六号証の三には、妹尾四郎兵衛なる者が、延宝年間に御所に仕え親王の命により八咫の鏡を持ち帰つて隠し祀つたということを享保二年に兼澄なる者が記録するという趣旨の記載がある。原告の主張(1)に符合し得る証拠はこの文書だけであるが、本件全立証によるも、右文書にいう八咫の鏡なるものが前記史書にいう八咫の鏡、さらには本件物件と同一であるかどうかは不明であるだけでなく、右文書の文言自体からしても、兼玄が鏡の寄託を受けたという以上の意味はなく、それをもつて原告主張のように贈与がなされたものとは認められないのである。
しかも、以上の点は別としても、原告本人(第一回)の供述により原告方に伝わる家系図であると認められる≪証拠省略≫によれば、一応、原告の夫である妹尾瀞は前記兼康、兼玄、兼澄の後裔の相続人であると認めることもできるが、瀞の相続人が誰かという問題は別としても、本件全立証によるも、本件物件が、瀞までの間、原告の主張(2)のように相続・承継されていたと認めることはできない。
すなわち、殊に、右甲第三四号証によれば、瀞の先代である稲治郎は、明治一二年一二月に妹尾三郎平兼教の妻かねを相続しているのに、≪証拠省略≫によれば、右相続後である明治三七年に至つて、内田寛から本件山林を買い受けていることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。また、さらに右甲第四〇号証によれば、本件山林は昭和一七年八月三〇日付売買を原因として同月三一日に瀞から参加人に所有権移転登記がなされていることが明らかであり、その売買の相手方が誰かの問題は別として、右登記の事実と≪証拠省略≫によれば、右売買にあたつて、原告の主張(4)のように本件山林のうち本件発掘現場の部分を除外したようなことはなかつたと認められ、この認定に反する原告本人(第一回)の供述は右認定と較べ措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。そして、これらの事実は、本件山林内の本件発掘現場附近の一劃、従つてまた本件物件が原告主張のような特別の意味あるものとして原告方で相続・承継されて来たものであると判断するについて余りにも大きな障害となるものであるといわねばならぬ。
(2) そこで原告は、遅くとも妹尾稲治郎存命中に時効取得があつたと主張しているのであるが、本件全立証によるも、妹尾稲治郎や瀞が本件物件を占有していたと認めることはできない。稲治郎が本件山林を買いうけ、瀞が昭和一七年八月三〇日まで本件山林を所有していたことは前示のとおりであり、その間、同人らが、本件山林を本件発掘現場を含めて所有の意思をもつて占有していたことは容易に推認できるが、そのような土地の占有をもつて(その当時から本件発掘現場の地中に本件物件があつたとしても)、直ちに本件物件の占有であるということはできない。しかも、証人妹尾省三≪中略≫の各尋問の結果によれば、本件発掘現場附近には、かつて祠があつたが、昭和一七年頃には、残つていたとしても殆んど朽廃しており、それ以前の明治末期にも既に形がない程に腐つていたことが認められる。従つて、その頃には既に右の祠に祭祀がなされていなかつたものとみるべきであり、この点からみても、稲治郎や瀞は本件物件につき格別の占有をしていなかつたというべきである。
さらに、占有の点は別としても、前記甲六号証の二が真実であるとすれば、親王なる人物から鏡を預つた兼玄や、その経過を記録した兼澄に本件物件につき所有の意思はない筈であるが、本件全立証によるも、その後の子孫がそれと異なる占有の意思を抱いたという形跡は全く認められないのである。
三、(参加人の権利取得の主張に対する判断)
(1) 参加人は、まず、その所有する本件山林内の地中から民法二四一条の埋蔵物にあたる本件物件が発見されたから、その権利を取得したと主張し、これに対して、原告は、瀞から参加人に対してなされた前示のような本件山林の所有権移転登記は、妹尾与喜治との売買に基づくものであつて、参加人は仮装の名義人に過ぎないと主張するのであるが、証人妹尾与喜治、参加本人の各尋問の結果によれば、右売買は参加人の出征中にその父である与喜治が交渉をし、代金も払つて、参加人の名義に登記したのであるが、参加人も後にこれを承認していることが認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。従つて、その売買の効果は結局参加人に帰属したものといわねばならない。
そして、右売買が原告の主張(4)(イ)のように本件発掘現場附近を除外してなされたものでないことは前示のとおりであるところ、これに対し、原告は右現場は礼拝の対象であるからその部分の売買は無効であると主張するが、礼拝の対象であることをもつて直ちに譲渡が禁じられるということはできず、まして、その場所で久しく祭が行なわれていなかつたことも前示のとおりであるから、原告のこの点の主張も失当である。
しかし、原告の主張(6)(ロ)の文化財保護法の問題は別としても、本件全立証によるも、本件物件が、無主物でなく、所有者はあるが、その誰であるかが不明であるに過ぎないところの民法二四一条の埋蔵物であると認めることはできず、また、同条の要求する遺失物法一三条の公告がなされたとも認められないのであるから、単なる土地所有者に過ぎない参加人は、本件物件発見によつて、その権利を取得することはできないものといわねばならない。
(2) また、参加人は、被告春名とともに本件山林を発掘した山本可武、衣田源一から本件物件に関する権利を譲り受けたと主張するが、証人山本可武、被告春名本人(第二回)の各供述によれば、右の訴外人両名は、被告春名の発掘の補助者に過ぎないものと認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
従つて、特別の事情の主張立証のない本件では、右訴外人両名は、本件物件につき何らの権利も取得しないものというべきであるから、参加人がたとえ右の訴外人らと参加人の主張(3)のような合意をしたとしても、本件物件の共有権を取得することはできないといわねばならない。
四、(いずみ荘における会合に関する判断)
最後に、以上の諸点は別としても、≪証拠省略≫によれば、昭和三四年一月二二日、岡山市内いずみ荘において、原告から少なくとも本件物件に関する一切の権限の委任をうけた妹尾弘一郎、同様に参加人を代理する妹尾与喜治、さらに被告神宮代表者を含む本件物件の関係者一同が会合して協議した結果、全員一致で本件物件を被告神宮に奉還することに同意したことが認められ、妹尾弘一郎の権限に関する原告本人の各供述は右乙第二号証の二、第三、四号証とくらべ措信できず、他に以上の認定に反する証拠はない(尤も証人妹尾与喜治は右会合の席上では他の親類の者が事後承認をすればという条件をつけたと述べているが、結局その親類の者に格別の異議がなかつたことは同証人自ら認めている)。
原告は、この奉還の合意には条件が附せられていたと主張し、証人田中千秋・山本可武・妹尾弘一郎の各証言によれば、本件物件の被告神宮への引渡しの具体的な方法については必らずしも終局的な合意はなされていなかつたとも認められるが、それは、あくまで右の奉還の合意に基づく義務履行の方法の細目的な問題に過ぎず、それが、右の奉還の合意そのものの条件とされていたと認めることはできない。
ただ「奉還」という言葉は、必らずしも贈与と同義であることはいえないのであるが、少なくとも、その物に関する奉還者の権利を相手方に与えるかその権利を相手方に対して主張しないという処分行為を含むものとみるべきであるから、仮りに、原告や参加人が本件物件につきその主張のような権利を取得していたとしても、右の「奉還」の合意の結果、それを失なつたものといわねばならない。
そこで、原告は、本件物件は礼拝の対象物であるからその処分は無効であると主張するが、前示のとおり、礼拝の対象であるというだけでその物の譲渡性が失なわれると解すべきではなく、本件全立証によるも、本件物件を譲渡禁止物とみるべき特別の事情を認めることはできないのである。
五、(結論)
以上に検討した何れの点からみても、原告や参加人が本件物件に関しその主張のような権利を有しているとはいえないので、それを前提とする原告・参加人の各請求は、その余の点を判断するまでもなく、失当であつて、すべて棄却を免れない。
よつて、訴訟費用負担につき民訴八九条九四条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 富田力太郎 裁判官 芥川具正 裁判官 米田泰邦)